《マニュエル伝》について
《マニュエル伝》はエッセイや詩を含めて全18巻におよぶ作品群である。「マニュエル」とは、豚飼いからポアテムの救世主になったドン・マニュエルの名をさす。言い伝えによればポアテムはフランスのどこかにあるらしい。物語の時代は13世紀から20世紀初頭まで、ドン・マニュエルを始祖として23世代にわたる英雄たちの夢と恋と冒険である。ジェイムズ・ブランチ・キャベル(1879−1958)は生涯のほとんどをヴァージニア州リッチモンドで暮らした。若い頃からフランス語やギリシャ語には堪能でヨーロッパの歴史や言語、神話や伝説に詳しく、《マニュエル伝》にもその知識が盛り込まれている。1920年代、キャベルはアメリカを代表する作家の一人だった。特に『ジャーゲン』(1919)は発禁騒ぎのあとベストセラーとなった。《マニュエル伝》に属するこの三冊のうち、『土の
ジェイムズ・ブランチ・キャベルについて
ジェイムズ・ブランチ・キャベル(1879−1958)は、リッチモンドの由緒正しいヴァージニア旧家に生れた。大学でフランス語やギリシャ語を教えたり、新聞記者として働いたりしたあと、系図調査を請け負う仕事に就いた。1902年から短篇を雑誌等に掲載されるようになり、1904年に最初の長篇 Eagle’s Shadowを出版。熱心な読者を獲得するようになり、その中にはマーク・トウェインのような著名な作家もいた。1917年に『夢想の秘密』が刊行され、ドン・マニュエルを始祖とする《マニュエル伝》が始まるが、大きな転機となったのは1919年の『ジャーゲン』であった。猥褻文書として発禁処分を受け、人々の関心を引き発禁が解けた後ベストセラーになる。しかし、次々に出る本も含めて期待されるような描写に溢れているわけでもなく、勘違いから始まったキャベルに対する関心は急速に薄れ、やがて忘れられていく。しかし、熱心な読者は残り、ファンタジイ評論家リン・カーターやSF作家アーシュラ・K・ル・グィンらがその文体を特に評価した。キャベルの特徴は徹底したリアリズム批判とロマンス讃美である。1930年に《マニュエル伝》の 全集版が刊行され、その後も小説・自叙伝・ヴァージニア州史など旺盛な執筆華堂どうを展開した(が、本の売れ行きは勢いを失っていった)。
『ジャーゲン』
ジャーゲンは初恋の人が忘れられない40歳の質屋、もとは詩人だったのに口うるさい妻との毎日にうんざりしていたところ、謎の黒紳士のおかげか妻が行方不明に。妻を探し出すのが男らしい振舞いだといわれて嫌々ながら旅に出て、洞窟のケンタウロスの背に乗って不思議な世界を巡ってみれば、20歳に若返った身体で初恋の人に再会したのを皮切りに、男らしくない振舞いと口先だけの出世を重ね世界を越えて、美女と出会うとその国の慣習に従って結婚を繰り返す夢のような四十歳の春の冒険を続けた末にジャーゲンが知った世界の真実とは……という物語は、何という猥褻文書だ!とたちまち発禁処分を受けてしまい、二年後に発禁が解かれるとベストセラーとなったのはちょっとした勘違いだったかも知れないが、この《マニュエル伝》らしくない《マニュエル伝》を手に取って、「私はどんな飲み物でも一度は味わってみることにしている」と嘯きながら好みの飲みものを片手にページを開けばそこは種と仕掛けに満ち溢れた夢と恋と冒険の世界に他ならない。